ことばひとひら ~つーさんの妄想日和~

流されながら、向き合いながら、感じたモノを一片のコトバに

心惹かれるもの、それは「わからない」ものたち

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好きなもの。美しいと思うもの。興味あるもの。
いろいろ、あります。

星も好き。海も好き。自然科学、大好き。

人も好き。特に人の体験と心が好き。
人が作る文化も、コミュニティも好き。
人が紡ぐ物語も言葉も芸術も好き。

ただ「好き」なのではありません。
すべて「面白くて、興味深くて、心惹かれる」好きなのです。

なぜ、好きなんだろう?
なぜ、心惹かれるんだろう?

少しだけ、考えてみました。

そして、出てきた共通点。
それは「わからない」こと。

 

「理解できない」という意味の「わからない」ではないのです。
それなら、好きとは言えない数学や語学も同じ。

 

そうではなくて、この「わからない」は「不思議」なのです。

自然科学も、人の心も行動も、趣味の写真や言葉も、ある程度までは理論で説明したり整理したりできます。
でも、それだけではどうしてもわからない、人知の及ばない神秘があるように思うのです。
それが、思いもしない奇跡を起こすことだってある。

だから、目が離せなくて、飽きなくて、面白くて、心惹かれるのです。

 

例えば、写真。
素敵な写真を、なぜ多くの人が素敵だと感じるのかを理論で説明することはできるかもしれません。
構図や光の使い方、人間の色彩認知について。

でも、その写真は理論ではなかなか撮れません。
様々な偶然と必然が重なって、その写真が出来上がる。
理論はその出来上がったものを後から解説しているに過ぎません。

もちろん、ある程度理論を理解していたらいい写真が撮れる確率は高くなります。
再現性も高くなるかもしれません。

でも「まったく同じ」はそうそうありません。

それに、時には理論を理解したプロの写真以上に、ただ心赴くままに撮ったお母さんやお父さんの写真が、地元の人の写真が、ぐっと心打つことだってあります。

理論だけではないのです。

 

自然もそう。
「ある前提」の理論で説明できるけれども、なぜその自然が生まれたかという根本は理論では説明できません。
そして、遂げた進化を後から理論で説明することができても、これからの進化を理論だけで納得し提示することは難しいのです。

それに、満天の輝く星空は、深海の静けさは、色とりどりなサンゴ礁の美しさは、海の透明さは、理論では説明しつくせない感動を与える力があります。
その「不思議」「神秘」の前では理論なんて何でもないのです。

 

そして、何より一番が「人」だと感じる今日この頃です。

人は、不思議。人と人の重なりで生まれるものはもっと不思議。
知っても知ってもわからない。

矛盾を沢山抱えていて、本人ですらその矛盾に苦しんでいる。

どんな出会いがどこで起こって、どんな出会いがその人を変えるかわからない。
同じ出来事でも、人によってその解釈が異なり、その後の変化が変わってくる。

そんなことを知っていくことが、そんな人たちと触れ合っていくことが、知らず知らずのうちに自分の変化にもつながっていて、そして自分も「わからない」のです。

そして、そんな人たちが生み出す物語や言葉や文化、コミュニティもまた心惹かれるのです。

 

とはいえ、こんな風に思えるようになったのは大学後半から。
もともと自然の「不思議」は好きでしたが、人の心については特に「不思議」とも思わず「わかるものだ」と思っていました。

その時と今は何が違うのか……はまた別の機会に。