ことばひとひら ~つーさんの妄想日和~

流されながら、向き合いながら、感じたモノを一片のコトバに

私にとっての「働く」を、理解・分解・再構成してみた

「あなたにとって『働く』とは」

自身で設けた命題であるのに、いざ書こうとすると筆が止まってしまいました。

 

あれ、今の私は「働いて」いるのかなあ……?

 

確かに、営利企業に所属し、「シゴト」を「熟す」ことでお給料をいただいています。自分の時間や労力を対価として差し出し、生活費を稼いでいることは間違えありません。

 

でも、「稼いで」いれば、それはそのまま「働いている」ことになるのでしょうか。反対に、自身で稼いでいない専業主婦は「働いていない」ことになるのでしょうか。有志プロジェクトのボランティアはどうでしょうか。

 

考えれば考えるほど、今「働いている」実感がないように思えてきました。平日の稼ぎに出ている時間よりも、こうして誰に見せるでもないコラムを書いている時間や無償の記事を書いている時間、あるいは大学時代のアイセック活動の方が、「働いている」気がするのです。どうも私の中に「働く」に対して一定の定義があるようです。

 

そこで、今回は「働く」という言葉を私自身がどうとらえているのか、その意味を深掘ってみることにしました。

 

「働く」の漢字を分解してみた

まず「働く」という漢字を分解して意味を噛み砕いてみることにしました。

 

真っ先に見つかるのが、「人」と「動」の2字です。

 

けれどまたここからが難しい。

 

「人『が』動『く』」のか。

「人『が』動『かす』」のか。

「人『と』動『く』」のか。

「人『を』動『かす』」のか。

「人『のために』動『く』」のか。

 

助詞と動詞の活用で複数の意味が見出せます。どれもありそうで、どれも少しずつ違う気がする。ひとまず、何かが動くまたは動かすというように、モノやヒトとの何かしらの関係性があって生まれるのが「働く」のようです。

 

ところで、もう一段階この漢字を砕くことができるなと気が付きました。「動」を「重」と「力」の2字に分けることができるのです。

 

何かを動かすには、あるいは何かが動くには、「重い力」が必要なようです。

 

人が何かとの関係性の中で重い力を使って何かを動かす。なんとなく、「渦」の中心となり「渦」を巻き起こすイメージが浮かび上がりました。プールで大きな渦を生もうとすると、流れができるまでの最初の一二歩がすごく重い。「働く」は決して楽ではなく辛さもしんどさも負荷もかかることがあるということが、この漢字分解でストンと腑に落ちました。



「働く」の意味を調べてみた

今度は辞書で「働く」の意味を調べてみることにしました。本当はこういう時に「広辞苑」で引いてみた、と言えるとかっこいいのですが、広辞苑は持ち合わせていません。そこで、web上の大辞林で調べてみました。

 

はたらく【働く】

( 動五[四] )
①肉体・知能などを使って仕事をする。一生懸命にする。 「 - ・いたあとは飯がうまい」 「このプロジェクトの中心になって-・く」
②職業・業務として特定の仕事をもつ。 「 - ・きながら大学を卒業した」
③機能を発揮する。効果・作用が十分現れる。 「もう疲れて頭が-・かなくなってしまった」 「勘が-・く」 「なかなか悪知恵の-・くやつだ」 「遠心力が-・く」
④そのものとしての力が生かされる。役に立つ。 「このねじは-・いていない」 「制御装置が-・く」
⑤悪いことをする。 「乱暴を-・く」 「盗みを-・く」 「不正を-・く」
⑥語尾が変化する。活用する。
⑦動く。体を動かす。 「鯉・鯛は生きて-・くやうにて同じ作り枝につけたり/宇津保 蔵開下
⑧出撃する。出撃して戦う。 「丸子の城へ-・かんとて/三河物語」
[可能] はたらける

 

何の文脈もなく「働く」というときは「②」の意味合いが多いと感じますが、「①」を見ると、やはり必ずしもお金を生み出す必要はないようです。

 

③以降を見ると、「労働」とは違う文脈で「働く」が使われています。「人」という漢字が入っているにも関わらず、ヒトと関わりがない文脈でも使われる。なんだか、そこに語源があるように感じました。

 

また、さらに目に留まったのが④。「そのものとしての力が生かされてる」ことが「働く」なのだとしたら、労働に置き換えたときも、その人の能力が発揮される場でないと「働く」にならないということでしょうか。どこまでを「そのものとしての力が生かされている」とするかは難しいですが、確かに急に私がスポーツ選手になったところで、全く「働けない」だろうなという気はしました。



「働く」の語源を調べてみた

辞書で意味を調べて気になった語源も調べてみることにしました。

 

いくつかのサイトを転々とするうちに気が付いたことがあります。なんと、「働」は漢字ではないのです。では何なのかというと、「国字」、つまり日本国内で作られた漢字なのだそう。

 

もとは止まっていたものが急に動く事を表す言葉として生まれたと言われているようです。「はためく」「はたと動き出す」の「はた」と同じですね。それを労働の意味合いで使うようになったのは鎌倉時代らしく、その時に「人」の要素が足され「働」という字が生まれたそう。

 

もう一つの説は「はた(傍)を楽にする」が語源というもの。とても素敵で納得感はあるのですが、先ほど辞書で調べた意味合いを考えると、こちらは言葉遊びで語源は前者であるように感じます。

 

何かが動き出さないと、働いたことにはならないようです。



「働く」を私なりに統合してみた

ここまで言葉の本来の意味を探り、理解・分解してきた「働く」。だいぶ解像度が上がってきました。そこで、ここで一気に引いて、私なりに集めたピースから納得できるものを統合してみます。

 

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廣瀬翼にとって「働く」とは

「①誰か・何かのために、②自ら③自身の力を使って、④何か・誰かをほんの少しでもいいので動かすこと。+その過程で、人と協力することも重要」

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自動詞であることと、漢字の分解で得た感触から、主体性を表す「自ら」という言葉を足しました。

 

書き出してみると、確かに①~④の要素が全て納得できるときは「働いた!」という実感があるような気がします。

 

例えば、ミライエ(よくお世話になっている鎌倉の古民家)の大掃除。今まで2度参加していますが、乾拭きした畳がつやつやに輝いているのを見たときや、障子を張り替え終わったときは「働いた!」と感じました。

「①ミライエといつも使わせてもらっている私自身や他利用者のために、②自ら③自身の時間と体力を使って、④ミライエをほんの少しでも綺麗にする。+みんなで分担してやることで達成」

 

文章を書いているときについても当てはめてみました。

「①自身と同じような悩みや違和感を抱えている、いつかこの文章を読んでくれるかもしれない誰かのため、②自ら③時間と言葉を使って、④メッセージを少しでも届けて、少しでも気付きや異なる視点を与える+書く過程で他の人と話してみたり、他の人の考えを知ったりすることが全体の完成度・解像度・説得性を上げることにつながる」



こうしてみると、私にとっての「働く」は、必ずしも就労である必要はないようです。傘を持っていない人にそっと傘を差しだすことだって「働く」になる。困っていそうな人にそっと声をかけて話をひたすら聞くことも「働く」になる。私の「働く」は、仰々しく肩書を担いで経済活動として行わなくても、日常のなかにふわりふわりと転がっています。