ことばひとひら ~つーさんの妄想日和~

流されながら、向き合いながら、感じたモノを一片のコトバに

「ことば」は書き手のみでなく、読み手の鏡でもある

f:id:wing930:20170227013026j:plain

大学生や院生が、卒業を目前に「最後の学生生活」として旅行を楽しんでいる様子を見かけるようになりました。2月もあっという間に去り、卒業シーズンの足音が聞こえてきます。

この時期になると、様々なところで多くの人が「卒業生に贈る言葉」を発表しているのを見かけるようになりだします。卒業式では学長や校長に祝福の言葉をいただき、式の後に友人と写真を撮り別れを惜しむ学生が多いのではないでしょうか。

でも、私が高校を卒業した年は少し状況が異なりました。中には卒業式が中止となった友人もいました。

2011年3月11日。多くの学校の卒業式を目前に、東日本大震災が発生したためです。

津波や倒壊の被害は少なかった関東でも、計画停電が行われました。混乱と不安が続いていました。各所で、安全性の不安と、式典を行い「おめでとう」ということの自粛から、卒業式や入学式が中止となりました。

 

私自身その影響を受けた人間の一人です。当時は大阪に住んでおり、いよいよ4月から上京して立教大学へ入学するというタイミングでの出来事でした。最初は大学が倒壊してなくなってしまってはいないか、形は残っていても混乱の中で今年は授業を開講しなということはないかと、不安に陥りました。そして春学期の開始が1カ月遅れ、入学式は中止とする知らせが届き、大学生になれる安堵と同時に、スタートから遅れる大学生活がまた不安になりました。

 

「卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。(校長メッセージ)」(http://niiza.rikkyo.ac.jp/news/2011/03/8549/)をインターネットで見かけたのは、そんな折でした。

 

1.鏡|大学1年の私とメッセージ

大学で学ぶとは、又、大学の場にあって、諸君がその時を得るということはいかなることか。

メッセージは、これから大学に行こうという期待感と不安感を抱いた私たちへの根本的な問いかけから始まります。学ぶため、友人を作るためといった、多くの人が回答しそうなものを先回りして挙げ、「それは一生必要だ」「大学以外でもできる」と否定していきます。

 

当時、同様の問題提起をもって、「大学不要説」を一部のベンチャー系の人たちが出してはいましたが、まだその声はさほど大きくなかった印象でした。受験生にとってはタブーのような話で、どこかで感じていても声を大にして議論することもありませんでした。

その中で、大学付属の高校の校長先生がこのような問いかけをするのはとても新鮮でした。そして、ただ「大学不要説」を唱えるのではなく、今後の大学生活を大きく左右することにもつながる新たな視点を提示してくれる気がしました。

 

校長は、一通り思いつく限りの高校生が挙げそうな理由を否定したところで、初めて自身の考える大学へ行く意味をこのようにつづります。

大学に行くとは、『海を見る自由』を得るためなのではないか。

言葉を変えるならば、『立ち止まる自由』を得るためではないかと思う。現実を直視する自由だと言い換えてもいい。

 そこから、一気に語り口が変化していきます。それまで淡々と、冷静に、視野広く語ってきた言葉が、熱をもって押し寄せてくる文章へと一変。大学という期間がいかに特殊で貴重か、「自由」と「時間」を観点に置いて強く語ります。この津波被害が大きかった時に、誤解を恐れずにあえて大海を例えに挙げて「海を見よ」「孤独と向き合え」と語りかけてきます。

 

なんだか思っていた以上に壮大な話になり、壮大な世界なのだと感じました。

視野を広げなければならず、それは外に刺激を求めるだけではないのだということ。けれど、深く見つめられる時間はそう簡単には取れず、大学の4年間は非常に重要らしいということ。「モラトリアム」という言葉があるけれど、大学はまさにそれで、しかしその「モラトリアム」が想像している以上に重要であること。なんとなくですが、そう感じ取りました。

そして、「学校」にこんなに熱く深い先生がいることを嬉しく思い、それが自身の進学する大学の付属の高校だということをどこかで誇らしく思いました。

 

端的に言うと、この文章で大学へのモチベーションが上がりました。いろいろ経験して自身の血肉としていくぞ。立教大学はこのメッセージを出す校長を置く学校法人グループなのだから、そのステージにふさわしいところだぞ。そう考えた記憶があります。

 

2.鏡|卒業後の私とメッセージ

休学を含めた5年間の大学生活を終え、卒業からもうすぐ1年が経とうとしている2017年2月。私は、たまたまシェアされていたこのメッセージと、再び出会いました。

特に何か思ったわけではなく、ただ「大学生活を終え社会で働くことも経験しだした今だと少しは見え方が変わるのではないかな」と思い記事をクリックしました。

 

時を経てそこに広がっていた海は、6年前の霧のかかった海ではなく、壮大に広がり白波の押し寄せてくる大海でした。その大きな変化に、自身で驚きました。

なんと厳しく、荘厳で、そして強い愛情に満ちた贈り物を、この校長先生は届けようとしたのだろうと、震えました。きっと彼自身、まだ生徒たちには10分の1も伝わらないであろうことを自覚しながら、それでもなお伝えようとしたのだろうも思いました。

 

いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。

いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。

今回読んで一番胸を打った文です。

けれど、6年前には1番わからなかった文でもあります。友人を頼れ、顔を上げたら手を差し伸べてくれる人がいるはずだと語られることが多い中で、なぜこの校長は「自分」を見ろと、救いは他にないと、とても冷たく虚しいことを卒業生へメッセージとして送るのか、不思議でした。

それが、今はスッと入ってきます。

 

確かに、頼るべき友人がいることも、声を上げる必要性も、泣くことも学んできました。でも、最後の課題は自分の中にあり、自分を見つめなければ、いつまでも何も変わりませんでした。

振り返ると、前に進めたときは、周囲の手を借りながら自分を見つめられた時でした。そうして見つめる自分は、悲しいほどちっぽけで、恐ろしいほど虚栄心を張っていて、不安定で、時に孤独でした。それは大概、見つめたくなく、認めたくない自分でした。しかし、それを見つめて抱きかかえないと、手を差し伸べてくれた人がその手を引っ込めてしまうこともありました。

 

まさか6年前に全く理解できなかった箇所が、1番グッとくるとは思ってもいませんでした。

 

3.鏡に2度映して見える変化

f:id:wing930:20170227014408j:plain

私は決して人に胸を張れるような大学生活をしてきませんでした。失敗したことの方が多いし、踏み外してはいけないものを踏み外したこともあります。大学生活を終えたあとも、こうして「書く」ことを再開するまでは、ずっとどこか閉じこもり悶々と悩んでいました。めそめそと一人で泣くことも、他人にあたることも、そうして失ったものも沢山あります。

けれど、その経験を経たからこそ、今、6年前の文章を深く受け止めることができるように自身が変化したのだとしたら、少なくともこの校長が言うような大学生活と時間を送ることができたのではないかと思えます。大丈夫、私は不器用で足りないかもしれないけれども、それでもちゃんと学んで進んできている。そう思えることで、再びこの文章に安心と勇気をもらいました。

 

また何か次の区切りには、同じ立教新座高校の校長先生のメッセージを読み返したいと思います。

 

同じ文章を、同じ人間が読んだとしても、読み手に変化があればその文章が持つ意味合いも変化します。「ことば」は、書き手の鏡であるとよく言われますが、同時に「読み手」の鏡でもあるのです。

そして、同じ文章への感じ方の変化を知ることは、自身の変化を知ることにもつながります。

みなさんも、何か自分の「鏡」とする文章や作品を一つ持って、時間をおいて振り返ってみると、新たなものが見えてくるかもしれません。