"廣瀬翼"を休業します
「生活がゲシュタルト崩壊している」
そうツイートしたのはいつだったろうか、早1週間になる気がする。
いつから夢か、どこから現実か。昨日どうやって帰ったか、いつ布団に入ったか。今、自分は「今日」にいるのか、「昨日」にいるのか。仕事中なのか、そもそも仕事とは何なのか。
体は動く。なんとか仕事に行く。パソコンの前に座って起動する。そこで何をするのかわからなくなる。なぜそこに座っているのか、わからなくなる。
画面と焦点が合わない。色々な情報が脳をかき回していく。ふと気が付くと手は一切動いておらず、刻々と時間だけが通り過ぎている。
胃痛と胃の重みから併発した腰痛、肩こり、背中の痛み。聞こえない右耳。
重い体を引きずりながら、明日には起き上がれずについに潰れてしまうのではという恐怖を抱く毎日。なのに、どこかで「まだ行ける、まだまだやれる、もっと遠くまで行きたい」と必死になり駆けようとする自分。
満員電車で立っていられなくなったのを機に、仕事は少し「さぼる」ようになった。やらないといけない作業が残っていても、ある程度で切り上げた。だけどその空いた時間に何をしていたかは、あまり記憶にない。
私の世界は、少しずつ「統合性」を欠いていった。「一貫性」も失っていった。
人と一緒のとき、仕事の話をするとき、一時的な集中はできた。だから、周囲にはそういう状態だということが全くと言っていいほど伝わっていない。でも、集中すればするほどその後の反動が大きく、世界の姿も存在も崩れていった。
それはまるで、場面展開が急で一貫性のない脚本の舞台に、内容も理解せずにずっと立たされているような日々だった。
どこで違えてしまったのか、あるいはずっと昔から少しずつ浸食していたのか。どうしてここまで追い詰められたのかも分からない。
ただ、「このままだとヤバい」、それだけはどこかで感じていた。
だから、この土日は思い切って逃げてみることにした。
「逃げる」といっても、大それたことをしたわけではない。
土曜は、毎月恒例で通常の私であれば必ず参加するイベントを不参加にした。仕事とは別に関わっているプロジェクトの関係者が東京に出てきた集まりも、不参加にした(調整がうまくいかなかったという理由もあるけれど)。
どちらも、誰に参加が義務付けられているものでもないけれど、通常の私ならどう調整してでも絶対に参加する。しなければ、"廣瀬翼"ではない。私にとっては、声をかけられたものへの参加は、ほとんど「義務」だった。だから「行けないです・行かないです」と言うのは、とても勇気のいることだった。
それでも、今その場に行ってしまえば、そこは刺激と情報が多すぎて、「私」がオーバーヒートしてしまう。いつもは大好きなその刺激が、今の私には、一時的に楽しくなるものの、ささくれた神経の炎症を増し、不安定性を高めるものであるように感じた。
コンテンツのいい悪いではない。受け取り手のコンディションの問題だ。
「そっと背中を押してあげる」も、使い方を間違えたらいけない。石橋の前でもたついている人の背中は押してあげたらいい。けれど、電車のプラットフォームの縁で佇んでいる人の背中は、押してはいけない。それだけの話だ。
ひたすら街をぶらぶらした。本屋をぶらぶらした。文字を読む気は起きなかったけれど、それでも本に囲まれる本屋は落ち着いた。脚が筋肉痛になるくらい、歩き回った。
夜には、友人と会いただひたすらに話した。最近あったことや、互いの悩み。沈黙すらも心地いい。何を言葉にしてもいい、何を言葉にしなくてもいい。人には話しにくい私の背景も知っているその友人との一対一の場は、走りすぎた私の精神を体に引き戻してくれる時間になった。
助けを求めると調整してくれる。見捨てることもなく、まずは全部を受け止めてくれる。そんな友人には、これまで幾度となく助けられてきた。本当に感謝している。
私の世界に、少しだけ彩と統合性が戻ってきた。
日曜も、本当は行くつもりだったイベントに行かず、ずっと家で寝ていた。目を閉じるたびに様々な夢を見た。夢から醒めるたびに、少しだけ頭と気持ちがスッキリしているのを感じた。こうしてブログに記せるくらいに、落ち着きを取り戻した。
そして気が付いた。世界の統合性が失われていたこの1か月、私は自分で抱えきれないほどの刺激や感情の波を背負っていたのだと。それらを処理しきる前に明日が来てしまう。だから、眠った気もせず、気が付いたら朝がやってきていたのだと。
たまたま変化が重なったこともある。そこに感情が全くついていかず、自分でも感情をうまく処理できていなかったのだと思う。
自身で手広く活動を広げすぎたことも、変わりたい一心に必死にインプット量を増やしすぎたことも、情報過多になってしまった原因かもしれない。
だから、自分の歩調がつかめるようになるまで、"廣瀬翼"を休業しようと決めた。
休業するといっても、やっぱり特別なことはない。
休日、一日に3つ以上の予定を詰め込まないこと。焦ってインプット量を増やさないこと。出来ていないことがあっても、まずはちゃんと寝ること。
一つずつ、ゆっくりでいい。丁寧に生きていきたい。
周囲の人との関わり方はさして変わらないし、むしろ気にしないで欲しい。「参加するのは義務」そう決めつけていた自分への余白と許しのような意味合いが強いのだ。
ただ、少し反応が悪くなることがあるかもしれない。いつもなら二つ返事で「行く!」「やる!」と言うことへのノリ方が悪いかもしれない。絶対的な締め切りがないものは少し遅れるかもしれない。そういう時、「休息して自身と戦っているんだな」と少しだけ待ってもらえると、嬉しい。
もちろん、極力そういうことがないようにするし、そういうことにならないように詰め込み具合を調整する術も身に付けようと思う。
ここからは「深呼吸」することを忘れずに歩んでいくようにしよう。