傷つけても、嫌われてもいい。依存先を守るためなら
モヤっとしたり、イラっとしたり。
それは都合よすぎだよ、それは善意の押しつけだよ。
そうやって、どこか違和感を覚えてなんだか悲しくなったり。
でも、ひとつひとつはとても小さくて、気が付けなかったり、自分が一口こらえて飲み込めばいいかな、なんて思ってたりなんてことも、よくあるお話。
最初は、だけど相手も都合があってやっていることだからと思う。良かれと思ってやってくれているのだから、求められている反応を返せば喜ぶだろうと思う。けれど、そうしているうちに、感情は緩やかに死んでいく。自身の中の矛盾が苦しいから、モヤっとしたその違和感を見なかったことにする。自分はどうか、ではなく求められたものを返すようになっていく。これも、よくあるお話。
そこで存在を無視された感情や違和感は、どこへ消えてしまったのだろう。
たとえ無視していても、あるものはある。消えたのではなく、奥深くの蓋を必死に押さえている箱に、少しずつ少しずつ溜まっていく。自分も知らないうちに、澱のように少しずつ。
そのうち、蓋が押し上げられそうになって、少し相手とかみ合わなくなってきたリ、自分の体調に変化が訪れることもある。でも、その頃にはすでに疲れ切って麻痺していて、それすら見過ごしてしまうことも少なくない。
そして、爆発は突然に訪れる。それまで一心に押さえていた蓋が、耐えきれなくなり一気に跳ねる。これまで中に溜まってきた無視されたモノたちが、一気に溢れ出す。混じりすぎて、込み上げすぎて、何が原因かもわからずに、これまでさざ波を立てないようにしてきた関係性の渦に、一気に流れでる。
私の側が溜めてきたのか、相手の側が溜めてきたのか。それは、分からない。けれど、こうして壊れてしまった関係性も、これまで何度かある。その多くは、私にとって大切な“依存先”だった。
依存先だからこそ、大切だからこそ、壊したくないと願う。よく思われたいと望む。だから、我慢してしまうのだ。自分が少し我慢すれば、少し背負えば、少しなかったことにすれば、それで全てが丸く納まるならそれがいいと、勘違いしてしまうのだ。
その場の雰囲気はいいかもしれない。けれど、そうした私の向き合い方は、緩やかに静かに、しかし確実に依存先との関係性を侵していた。大抵の場合は、おそらく私の側だけでなく、相手の側からも同様に、関係性の緩やかな破壊が進んでいた。
何度、同じ失敗を繰り返してきただろう。
過去形ではない。今いるワークルでも同じことを繰り返している自分がいた。それに気が付いたのは、4月も後半に入ってからだ。
仕事や他のことも重なり疲れていた私には、いつもはやり過ごす小さな「モヤ」が耐えられなかった。生活の中で唯一の憩いで救いと言っても過言ではなくなったワークルで、そこでも堪えれば、それこそ家から外に出られなくなると感じた。同じ出られなくなるなら、打破の可能性がある方に賭けてみよう。「何を言い出すんだ、そんなこと今まで言ってこなかったのに」と思われることを覚悟し、なけなしの勇気を振り絞ってチャットで伝えてみた。怒るかな。どうしてって聞かれるかな。心臓の奥底で、ギュッと何かにつかまれたような動悸を抑えながら、一瞬呼吸を止めた。
ぽんっと返されたチャット。そこには「おっけい!」の文字。
拍子抜けだ。
さらに詳細にチャットが続き、返された言葉が「つーちゃんがこの声をあげてくれたのは感謝してる。」
本当に、本当に拍子抜けもいいところだ。私は今まで何を飲み込んで、何を我慢してきていたのだろう?相手を思っていたのではなく、ありたい自分・見られたい自分を無理に演じていたのかもしれない。
ホッとした。私の依存先は、なんてたくましくて、なんて美しい。
高校の茶華道部、生徒会、立教大学のアイセック、ベトナムの教え子たち、アイセック・ジャパンの仲間、ワークル。私の依存先は、どれも少しずつ弱くて脆くて不完全だ。どれも少しずつ私と異なり、まるっきり依存しきることはできない。
けれど、どこも同じようなしなやかさがある。柔らかくて、優しい。
傷つけたくないと思ってきた。だから、自分が我慢すればいい、そう思って生きてきた。
だけどそれは、相手は傷つかなくても、自分を傷つけているということだった。それを後から知れば、相手だってもっと深く傷つくかもしれない。
嫌われたくないと思ってきた。だから、相手が望む解を見せようとしてきた。
だけどそれは、偽りの自分を好いてもらっているだけで、いつまでたっても自分自身を愛してもらえないことにつながっていた。
傷つけてもいい、嫌われてもいい。それが、最後の爆発を阻止して、私の大切な依存先を守ることにつながるならば。
負の感情も全部含めて、そっと間に置いてみよう。託してみよう。
それができたら、本当の意味で正しく依存し合える依存先になるような気がする。