ことばひとひら ~つーさんの妄想日和~

流されながら、向き合いながら、感じたモノを一片のコトバに

乱れたダイヤに、手を差し伸べられなかった社会と私

混乱していた。みんな、いらだっていた。

電光掲示板から、出発時間の表示が消えた。電光掲示板に書いてある電車の行先と、電車に表示されている行先と、アナウンスで流れる行先がすべてバラバラだった。複数人の駅員さんが階段から上がってきて話し合ったりアナウンスしたりをしていた。

そうして、電光掲示板自体の電源が落とされた。

電車を降りて遅刻の電話をしようとする人、JRの駅まで歩いて移動しようと出ていく人。通勤時間にぶつかった信号トラブルと人身事故による遅延に、発車を待つ電車の中とホームは人であふれていた。

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京急蒲田の駅は少しややこしい。
次はどちらのホームから品川方面の電車が出るのか、今度の電車は羽田方面か品川方面か。引っ越してきたばかりの時は困ったものだった。

そんな駅で電光掲示板が消え、駅員も相談しあい、アナウンスはコロコロ変わる。もう諦めるしかなかった。

遅刻は確定。午前にミーティングの予定はなかったから、1本遅れても2本遅れても大差ない私は、どの電車が先に出発するかは関係なしに、確実に品川方面へ出るホームの電車に乗って待った。

 

そのとき、目の端にクルクルと円を描いて走りまわる人影が留まった。一瞬立ち止まって消えている電光掲示板を眺め、ポカンとした後、またホーム上をクルクル円を描いて走る。ふざけているのではない、必死な様子で、走る。

私は、彼を知っていた。

 

 

最初に彼を見かけたのは、4月。新生活が始まる季節だった。

一番後ろの車両にあたるホームライン上に立っていた彼の横には、お母さんと思わしき女性がいた。穏やかに、にこやかに話すその女性は、彼と電話の場所を確認し、降りる駅の確認をしている様子だった。その光景は「はじめてのおつかい」を見ているようだった。

けれど、ニコニコしながらおとなしくうなずく彼は、大人に見えた。少なくとも「はじめてのおつかい」の年齢ではない。成長期を過ぎた男性だった。

 

電車がホームに滑り込んでくると、女性がなぜそんなに確認を続けていたのか、すぐにわかった。女性は電車に乗り込まず、彼だけを送り出したのだ。

閉まるドア越しにずっとホームを見つめていた彼は、女性の姿が見えなくなるとクルリと向きを変えた。そして、おもむろにブツブツと脈絡のない音や単語をしゃべりながら、反対側の窓から外を見にいったり、戻ってきたり、つり革を持ってみてすぐ離したりと、じっとすることを知らずウロウロしだした。

彼は、何らかの発達障害があるようだった。

 

翌日も、彼は同じ電車に乗っていた。毎日のように見送りに来ている女性が見えなくなるまでホームを見つめ、見えなくなったら誰にも迷惑をかけずにおとなしくウロウロしだす。

「誰にも迷惑かけずにおとなしく」と「ウロウロ」は普通だったら矛盾しているようにも感じるのだが、極端に大きな声を出すこともないし、走ることもなく、誰かの足を踏むこともないのだから、やはりおとなしくウロウロなのだ。

中にはそんな彼を見て怪訝な顔をしながら席を移る人もいた。けれど、私にはまったく不快ではなかった。むしろ、彼には私たちがどう見えているのだろうと不思議で、想像してみるのが面白かった。

彼が電車の中で歩き回るのにはパターンがあった。定期的に路線図や電光掲示板の前で立ち止まり、ブツブツ話す。そのときに聞き取れる単語は明確で、駅や電車が好きなようだった。文字認識は高いのだろう。そして何かを納得したようにまた動き出す彼に、多分怪訝な顔をして立ち去る人が思っている以上に彼は色々考えているし賢いのだと思った。

 

初めて彼をホームで見かけてから2週間ぐらいたったところで、一緒にホームまで来ていた女性を見なくなった。彼は一人でホームまで上がり、決まった電車に乗る。

ときどき電車遅延でいつもの電車より1本前の車両が止まっているときには、きちんと先に出る方の電車に乗ってきた。やはり文字認識が高く、電光掲示板を確認して電車を選んでいるのだろう。彼は、賢かった。

 

彼は私より先の駅まで電車に乗っていた。だから、どの駅で降りるのか、私は知らない。名前も知らない。話したこともない。

けれど、毎日彼を見るのがあたり前になり、彼を見かけないと「今日はどうしたのだろう?」とぼんやり気にかかるようになった。その翌日また電車で見かけると「あ、よかった」と思うのだった。

 

 

その彼が、目の前で困ってクルクル走っている。いつものように、叫んだりせずおとなしく、でも足早に。

いつもと違い人であふれている駅。いつもと違うアナウンスの嵐。消えている電光掲示板。混乱しているのだろう。

一般人ですら状況把握に時間がかかり、どの電車に乗ったらいいのか悩むこの環境は、彼にとってイレギュラーで情報量が多すぎるに違いない。

 

私は知っていた。彼のことも、恐らく発達障害であるだろうことも、毎日同じ時間に同じ電車で同じ場所へ向かっているであろうことも、その彼が品川より向こうの駅まで行くことも、そしておそらく今ここにいる他の人のほとんどがそれを知らないことも。私は、知っていた。

声をかけなければ。けれど、一瞬の迷いがよぎった。

 

だって、彼は私を認知してないかもしれない。これまで一度も話したこともないし、名前も知らない。知らない人に声をかけられたら……余計なお節介なのではないか?それに、仕事にだって遅刻だ。

 

その一瞬の迷いのうちに、急にベルが鳴り、私の前のドアが閉まった。

ドアの向こうで、彼は急に落ち着いて、ホームのライン上に並んだ。とにかく電車は動いているとわかって、待つことにしたようだった。やはり、彼は賢い。

 

けれど、ダイヤ乱れの電車は特殊だった。すべて品川止まりなのだ。品川からはJRの振替輸送を頼むしかない。

誰がそれを彼に伝えるのだろう?誰が、振替輸送でどの路線に乗ったらいいか案内するのだろう?

 

きっと毎日同じ場所に通っているのだから、その先の人が途中で電話をかけてくるに違いない。けれど、それは彼が遅刻しているからどうしたのだろうかとなってからだろう。それまで、電車が大幅に乱れているとは気が付かない可能性は、決して低くない。そして、その電話に救われるまでの間彼の前に立ちはだかる障壁は測りしれない。彼はどれだけ不安で必死だろうか。

 

一瞬迷った自分が悔しかった。遅刻がなんだ?どのみち遅刻するのであれば、変わらなかったろうに。無性に、苦かった。

 

 

電車遅延のとき、振り替え輸送のとき、耳が聞こえない人や海外の人には情報が足りなさすぎるという問題意識は以前から持っていた。2020年までになんとかならないかな、と人と話題にしたこともある。

けれど、そのとき発達障害の人も同様に困るとまでは考えが及んでいなかった。

 

耳が聞こえない人は、それでも駅員さんに筆談するなどできる。
海外の人も、英語で聞けるし、近年は気にかけて英語で話しかける人も少なからずいる。

 

でも、発達障害で困っている場合は……?なかなかそのことを知らないと手を差し伸べるのは難しいのではないか?

何か、行先や連絡先がわかるものを。
そして、毎日出会っている人も見守ることを。手を差し伸べる勇気を。
きっと、その小さな一工夫が、だけど重要で、だけど足りていない。

 

今日、社会は彼に手を差し伸べられなかった。
私も、一瞬の迷いが邪魔して差し伸べられなかった。
他の人たちも、彼に手を差し伸べられるほどに彼のことに気が付いていなかった。

 

少しずつでいいから、日ごろから気付きあって、何かあれば手を差し伸べられるようになりたい。